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【I.W.HARPER】I’M HARPER 榎本信介

【I.W.HARPER】I’M HARPER 榎本信介

I’M HARPER 〜自己満足に、生きる。〜

Presented by I.W.HARPER

「どこかをハズす。そのほうが楽しいから」

信じたものに、繰り返し情熱を注ぐ。その姿は輝きを放ち、決して自分のスタイルを失わない。そんな人物を紹介する「I’M HARPER」。今回話を聞いたのは、自身のレーベル「エドナサーフボード」を展開しながら、個性あふれる創作を続けるプロロングボーダー兼サーフボードビルダー、榎本信介さん。サーフィンやサーフボード作りとの出会い、現在の活動、こだわりを追求しながら生きるためのユニークな考え方を話してくれた。

***

── サーフィンとの出会いはいつですか?

高校1年生の時。生まれも育ちも湘南・鵠沼だから周りにサーフィンをやってる人はいたんだけど、小さい頃はやりたくならなかった。

── ほかに熱中していたものがあったんですね。

中学時代まではサッカーが好きだったね。

── 始めた頃はどのようにサーフィンをしていましたか?

最初は仲間もいなくて、ひとりで黙々とチャリンコに乗って家から海まで行って、サーフィンしてっていうのを16歳から18歳になる前ぐらいまでやってたかな。

── 当初からロングボードに乗っていたのでしょうか?

いや、22~23歳ぐらいまではショートボードしか乗らなかった。そのころにサーフショップに初めて所属して、そこで「コンテスト出ろ」って言われてコンテストにも出始めた。 

── ロングボードに乗るようになったきっかけを教えてください。

先輩に借りてやり始めたんだけど、すぐ上手くなったっていうか「結構俺できるじゃん」みたいな感じになって。

── ショートボードから乗り換えるのは簡単ではなさそうですが……。

その前に、すでに普通のショートボードからドロップアウトしてたから。ライトニングボルトのシングルフィンの古いボードをリサイクルショップで買って、そればっかり乗るようになって「これでいいんだったら、ショートボードやめた」みたいな時代があった。

── クラシックなボードが性に合っていたんですね。そして、ロングボードでもコンテストに出始めた。

そう。ショートボードでは勝てなかったんだけど、ロングボードでコンテストに出たら全日本選手権でファイナルまで行けた。それで「プロになれるんじゃないの?」って思ってトライアルを受けたら、そのままプロになれた。「なりたい」と思ってなったというよりは、サーフィンをやっていくうえで自然にプロサーファーになっちゃった感じ。だから、プロ意識の低さは誰よりも高いかな(笑)。

── プロロングボーダーとしてどんな活動をしていたのでしょうか?

25歳のときにプロになって40歳までコンテストに出てたけど、その間ファイナルに2回行ったくらいで、選手としてはそんなに成功しないタイプだった。それよりも、プロとして雑誌の取材で海外に行ったり、旅行代理店のライダーとして海外ツアーの商品開発に携わったりすることをがんばっていた。

── サーフボードを作り始めた理由は?

「きっと誰に頼んでも、俺が欲しいものは人には作れないんだろうな」っていう気持ちがあったから。そのとき乗ってたサーフボードが悪かったわけじゃないんだけど、いくらシェイパーにイメージを伝えても、自分が本当に欲しいものができあがらなかった。

── どのようなスタートでしたか?

プロサーファーをしながら職人仕事をしてるときに、まずはホームセンターに行くたびに工具を見て想像を膨らませてた。サーフボードの工場にもよく行ってたから、一連の作業の流れもわかってたしね。そうこうしてたある日、江ノ島の中の小さい小屋でシェイプから仕上げまで全部ひとりでやってる先輩に「使ってない時間にちょっと貸してくれないか?」って聞いたら、快く貸してくれたんだよ。 

── おもしろい流れですね。

仕事をやりながら、先輩が使ってない夜の時間、だいたい20時ぐらいに工場に行ってシェイプして、0時頃からラミネートしてという感じ。最初のうちはとくに興奮してやってた。時間も忘れて、朝方までずっとサーフボード触ったりしてるときが1年間ぐらいあったのかな。

── 独学でサーフボード作りを覚えたんですね。榎本さんのブランド「エドナサーフボード」がスタートしたのは何歳のときですか?

 2007年、33歳のとき。気づけばもう18年もサーフボードを作ってる。

── 現在の工房兼ショールーム「エドナ屋」には、お客さんはもちろん、シェイピングをしたい近所のプロサーファーやレジェンドシェイパーもやってきて、榎本さんの工房でサーフボードを作っています。どんな考えで拠点を構えているのでしょうか?

自分が昔のサーフボード工場に抱いてたイメージは閉鎖的。空気もピリついてて、他人が普通に踏み込める場所じゃなかった。でも、そういうんじゃなくてもいいのかなって思って。俺は全工程を自分でやるから、シェイプルームを使わない時間に利用してもらったりしてる。そうすれば、自然と広がりが出てくるから。

── エドナ屋は仲間の写真事務所、ボタニカルショップを併設していることもあり、多種多様な人が集まる場所になってますよね。

おかげさまで、仕事が止まるぐらい人が来てくれる(笑)。でも、人が来ないと仕事にならないから。湘南のサーフボード工場は山の中にあることが多いんだけど、俺は街中に作りたかった。ここは藤沢本町の駅から徒歩7~8分くらい。人が自転車か電車で来られる場所でやりたいっていう気持ちが初めからあった。

── 具体的な理由を教えてください。

いいボードを作るために、フェイス・トゥ・フェイスでサーフボードのオーダーを受けたいから。小さい工場で1人で全部回してってやってるから、短い時間で多い本数は作れない。俺の場合は、いっきにたくさん作って売るよりも、リピートしてくれる人が増えるほうがいい。地元の人が長く愛してくれるような、町中華みたいなノリでやってる。

── そんな榎本さんの人生のモットーは?

月並みだけど、「楽しくやりたい」。

── 生き方において、大切にしていることはなんでしょう?

遊び心かな。例えばサーフボード作りでも、最初から最後まで格好いいものにするというよりも、どこかちょっと抜けているところを作ってあげてる。なんて言うんだろうな…… ちょっとダサくしてあげると、ものすごく個性的になるというか、いいものになる。どこかをハズす。それが人生のモットーでもあるかもしれない。そのほうが楽しいから。

── I.W.HARPERは5つのゴールドメダルを獲得しています。榎本さんの人に負けない強みはなんでしょうか?

自分で言うのもなんだけど、オリジナリティを強く持っているほうだと思う。人に勝つ負けるじゃないけれど、そこだけは人に言われても曲げたくない。

── お酒も大好きだという榎本さん。最後に、ハーパーソーダを飲んだ感想をお聞かせください。

王道のバーボンって感じでいいね! 海上がりにガツンとビールを飲んで、2軒目でのんびりしながら飲みたいかな。

photo◎Pero
text◎Jun Takahashi

BLUE. 105

2025年3月10日発売

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